立春
2月3日が 今年は立春。この日より暦の上で春が始まるとされています。
立春の決め方は昔の暦により決めらるのですが、
昔の暦とはどんなものなのでしょう?
簡単に調べてみました。
太陰暦・・・月の満ち欠けによる周期
天体の月が最も欠けた時を「朔(さく)」
朔から約15日経つと満月になる「望(ぼう)
「朔」→「望」→「朔」が30日又は29日となり、
暦が30日あるときを「大の月」
29日のときは「小の月」と呼んでいました。
・・・とすると、1年の日数が少ないですよね?
この方法だと、1年が約354日となり、約11日少ないので、
3年毎に1年を13か月にすることで、季節感と日にちが合うようにしていたそうです。
13か月(閏月)の年を作るのは、太陽の動きを参考にしている方法の為、
「太陰太陽歴」という呼び方もされています。
日本の暦はこの「太陰太陽暦」を使っていました。
また、1年の季節を「春」「夏」「秋」「冬」の4つに分けて考える二十四節気は冬至を起点に1太陽年を24等分した約15日ごとに区切って考えられていたため、こちらも暮らしには欠かせないものとなっていました。
「春」から1年が始まるとされ、「立春」がスタートの日となります。
その前日が「節分」
季節の変わり目は、病気になりやすいとされ、疫病等を鬼に見立てて、追い払う「鬼は外」新しい年の始まりに「福は内」が定番行事となったのですね。
1年に4回ある「節分」でもとりわけ「立春」が大事なのは、新しい年のスタートだから。ということです。
太陽暦・・・地球が太陽のまわりを1周するのにかかる時間、約365.25日に基づき、作られた暦です。
こちらも、最初は閏年が無く、少しずつズレていってたと言われていますが、現在はグレゴリオ暦と呼ばれる算出で1年が決められ、2月が28日の年と29日ある年で調整されています。
日本では明治6年1月1日から太陽暦が使われ始めたそうです。
ヨーロッパでは主に太陽暦が広まりましたが、
アジアでは太陰暦が中心でした。
今は世界の多くの国が太陽暦を中心としていますが、
アジアの国では、太陰暦のお正月を今もお祝いしている国も多くありますね。
画像は今年の節分
2月2日の花 スノードロップです。
花言葉は「希望」
にしむらゆき子
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