幻のアジサイ『シチダンカ』
【plants】
毎日、花・植物の楽しさをいろいろな角度から書いています。
今日は、幻といわれていたアジサイのご紹介です。
フィリップ・フランツ・バルタザール・フォン・シーボルト
歴史の教科書に出てくるあの
シーボルト(Philipp Franz Balthasar von Siebold, 1796年2月17日 - 1866年10月18日)は、ドイツの医師であり、博物学者。
日本には、鎖国の時代に、長崎の出島へ入国しています。
オランダ人ではないのに!!
オランダ人と偽って入国していたのだそうです。
もともと医師の家庭に生まれ、
植物学に興味を持ち、日本研究の希望を出すと認められ来日。
長崎の出島で商館医師として務めます。
出島外でも、西洋医学(蘭学)を日本各地から集まる医師や学者に伝えていました。
そのシーボルトが、神戸の六甲で見つけたというアジサイが
ヤマアジサイ「シチダンカ」です。
シーボルトの著書「フロラ・ヤポニカ」に紹介されながら、
見つけることが出来ず、
幻とされていたのだそうです。
シチダンカ(七段花)
1959年 偶然六甲山中で見つかった「シチダンカ」
今も六甲山で、少しずつ増やしているそうです。
八重の装飾花の部分が特徴。
六甲高山植物園で見ることができます。
紫陽花
科名:ユキノシタ(アジサイ)科
学名:Hydrangea macrophylla
原産地:熱帯アジア
樹高:20cm~4m
主な開花期:5月-7月
シーボルトさん、
たくさんの勲章をもらってます。
シーボルト事件(国禁のもの等を国外に持ち出そうとして見つかった事件)で追放となったシーボルトさんですが、
既に
日本で収集した文学的・民族学的コレクション5000点以上のほか,哺乳動物標本200・鳥類900・魚類750・爬虫類170・無脊椎動物標本5000以上・植物2000種・植物標本12000点を持ち帰っていたそうで・・・。
多くの勲章と地位とお金を得て、
日本学の祖と言われていたそうです。
(Wiki より)
日本には、お妾さん(お滝さん)を残し、
娘を残しましたが、
wikiによると、
後に、娘はドイツの家族とも交流を持ち、医療に従事したとのこと。
アメリカ(東インド艦隊)のマシュー・ペリーに、日本の資料を提供し、
すぐに軍事行動に出ないよう、進言して下さっていたことは、
嬉しくもあります。
もちろん、
オランダ、ドイツをはじめとするヨーロッパで、
はじめて、日本のことを詳しく知る機会となり、日本学が発達したのも、
この頃から。シーボルトさんの功績です。
フラワーデザインにも影響がありました。
こちらはまた別の機会に。
やっぱり、ヨーロッパからすると東の果てにある、
知らない生き物や文化が栄える、黄金の国だったんですね。
日本は水が豊かで、狭いながらも工夫をこらし生きてきた
平和な国なのだ・・と思います。
感謝すべきこと。
大事にすべきこと。
こんな物語のような歴史が
まさに
外交の歴史です。
今日も暑いですね。
植物園は少し涼を感じる場所です。
気晴らしにいかがでしょう?
今日もありがとうございます。
花とともに
KAMOE&ARNE
にしむらゆき子
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